2006年02月28日

星は光りぬ

新月の夜は不思議だ
夜空のどこを探しても月の姿はない
けれど月は存在しているのだ

見えないが、ある(存在している)

その「見えないものを見る」ということを考えるのに
新月の夜こそふさわしい時はないように思う


1800年6月のローマ
複雑な政治情勢に人々は一喜一憂させられる日々
画家カヴァラドッシが教会の壁に
マグダラのマリアを描いている
そこへ現れた恋人トスカは
マリアの顔が自分と違うと大いにヤキモチをやく
歌姫トスカに邪恋を抱く監視総督スカルピアは
友人の脱獄を助けたカヴァラドッシをトスカの前で拷問にかける
耐え切れずトスカは隠れ場を話してしまう
こうなればカヴァラドッシは死刑の運命だ

銃殺刑を目前にしたその日の明け方近く
サンタアンジェロ城の露台で輝く星をながめながら
カヴァラドッシが死を覚悟し
トスカとの愛の日々をふりかえる
そして謳う「星は光りぬ」を

このプッチーニ作オペラ「トスカ」第三幕で謳われる
「星は光りぬ」はテノール名曲中の名曲

私はテノールと言えば、ルチアーノ
ルチアーノ・パヴァロッティなのである
トリノ・冬季オリンピックの開会式で彼が現れたとき
ミーハーになってキャーキャー騒いだ
そして思いっきり感動してしまった
その時歌った「誰も寝てはならぬ」も
プッチーニ作オペラ「トゥーランドット」第三幕冒頭で歌われるもの

私の敬愛するマエストロ大植英次指揮のトスカ
第三幕の前奏曲を聴いたときの感動は今も忘れられない
この日は数分遅れたため第一幕は演奏会場に入れず
くさっていた いかっていた くやしかった
しかしこの第三幕
トスカまでの前奏曲を聴いたとき
ネガティブな感情はすべてどこかへ消え去った

美しくも哀しい調べ
恋人たちの愛と哀しみの果てを
夜明け前の消えゆく星のように
切なくしかし艶やかに奏でられるのである
そして「星は光りぬ」で泣かせられる

マエストロ大植のトスカはオペラ形式ではなく
舞台のない演奏会形式だった
そう見えない(舞台がない)のに見えたのである
"私は絶望の中で死んでいく!"と叫ぶカヴァラドッシが・・・

喧騒のローマから帰って
人ばかりで疲れたと言う私に家に着いてアントニオが言った
「誰もいないよ!」

テレビに映るパパになった(年齢的にはグランパな)
パヴァロッティに顔をしかめていたリタの横顔

・・・次々と懐かしい想い出が溢れ出す

見えないもの、音、歌、声
これらをとおして見えないものを見る
イマジネーションを羽ばたかせる
そのイマジネーションの翼に乗って
記憶の彼方へ誘われる

辿り着いたその場所は未知の世界ではない
そこはとても心地良いところ
そして
何物にも換えがたい大切なものがしまわれているところ

見えないが、あるという一晩だけの小旅行に出かけてみた
この旅はとても刺激的なセンチメンタル・ジャーニーになった

見えないもの
見えない世界は私にとっては大切なところだった
過去も現在もそして未来さえもそこにあるようだ

そのうえは遠くにあるのではなく
すぐ近くに すぐ傍にあるのだった

どうして行ったらいいのだろうと探したりするのでもなく
思えば扉が開くのである
"開けゴマ"とおまじないを唱えなくても

いつでも好きな時に飛んでいけるのである

いや新月の夜だからこそ
魔法が働いたのだろうか・・・
posted by nanaco at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | New Moon | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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